武将の力飯  戦国時代の米料理とその歴史

前回の記事「戦国の兵糧戦略  武将たちが守り抜いたお米の秘密」では、戦国時代における兵糧の重要性とその管理方法について詳しくお話しました。

今回は、「武将の力飯  戦国時代の米料理とその歴史」に焦点を当てます。

戦国時代の武将や兵士たちがどのような食事を摂り、戦いに備えていたのかを探っていきましょう。

さらに、戦国武将たちが好んだ食事もご紹介しますので、ぜひ再現してみてください。

戦国武将の食事スタイル

戦国時代の武士たちは、基本的に1日2食を摂っていました。

朝食は8時ごろ、昼食は午後2時ごろに取られ、夜間警備の任務に就いている場合は夜食として3食目を摂ることもあったようです。

また、食事は1汁1菜が基本で、主食は玄米や雑穀でした。

この時代、醤油や味噌、砂糖は大変貴重な調味料だったため、雑穀の米を2合食べるもいたそうです。

その他、おかずには、野菜や海藻、漬物、魚、鶏などがあったといわれています。

しかしながら、豊富なおかずを食べられるのは裕福な者のみで、多くの武士たちは簡素な食事をしていました。

戦場の食事「陣中食」

戦場では、戦闘や移動中に素早くエネルギーを補給できる「陣中食」が重要でした。

主なものとしては、乾飯、握り飯、兵糧丸、味噌玉、芋茎縄(いもがらなわ)などです。

また、握り飯・乾飯・握り飯は現代でいう、いわば「おにぎり」に相当します。

  • 乾飯:米を炊いた後に乾燥させたもので、水や湯を加えて食べられました。
  • 兵糧丸:お米や蕎麦粉、豆類、魚粉などを混ぜて丸めたもので、地域によって材料や味が異なりました。
  • 味噌玉:焼き味噌を1食分ずつ丸めたもので、お湯で溶かして味噌汁にしたり、そのままかじって塩分を補給したりしました。
  • 芋茎縄:サトイモの茎を味噌汁で煮しめて乾燥させ、縄状にしたものです。普段は縄として使い、食べるときにはそのままかじったり、鍋に入れて味噌汁にして食べていました。

戦国武将が好んだ食事

有名な戦国武将たちには、それぞれ好んだ食事がありました。

ここでは、4人の武将がそれぞれ好んだ食事をご紹介します。

上杉謙信の「勝どきメシ」

上杉謙信は、出陣の際に山のように米を炊き、部下や兵士たちに豪華な食事を振る舞いました。

玄米、集め汁、炙り焼き、胡桃浸し、刺身などを食べていたそうです。

豊臣秀吉の「豆味噌のにぎり飯」

豊臣秀吉は、米に麦を混ぜて炊き、豆味噌を塗った握り飯を好んで食べました。

ビタミンB1が豊富に含まれており、戦場でのエネルギー補給に適していたといえます。

徳川家康の「麦飯」

徳川家康は生涯質素な麦飯を食べ続けたことで知られています。

麦飯は、栄養価が高く健康を維持するのに役立ちました。

というのも、この時代の平均寿命は37.5歳でしたが、麦飯を主食にした家康はなんと75歳まで生きたのです。

麦飯

石田三成の「ニラ雑炊」

石田三成は、関ヶ原の戦いで敗れた後に最後の食事に選んだのが「ニラ雑炊」だと言われています。

実は、このエピソードにはこんな逸話も残っています。

この時、石田三成はお腹を下していたと言われ、胃腸に優しく、体調を整える効果があったニラ雑炊で、三成は腹痛を和らげようとしたんだとか。

まとめ

戦国時代の武将たちは、戦いに備えて様々な工夫を凝らした食事を摂っていました。

1日2食の基本的な食事や、戦場での陣中食など、彼らの食生活は現代とは大きく異なりますが、その知恵や工夫には学ぶべき点が多くあります。

また、有名武将たちの好んだ食事を再現してみることで、歴史への理解を深めることができるでしょう。

ぜひ、戦国時代の食文化に触れながら、彼らの知恵と工夫を楽しんでみてください。

さて、次回最後の記事では、「お米と戦国武将  戦国時代の稲作と経済の関係」について深掘りしていきます。どうぞお楽しみに。