初期の食堂車とは?贅沢な移動式レストラン
今回は、日本初の食堂車についてさらに深く掘り下げ、その贅沢な魅力をご紹介します。
前回予告した通り、今回は実際のメニューに焦点を当て、どのような料理が提供されていたのかを詳しく見ていきましょう。
さて、本記事は、山陽鉄道が運行した日本初の食堂車で使われた「食堂車販売品目録」を参考に、当時の食事内容や、その豪華さがどれほど特別な体験だったのかを解説します。
当時のメニューには、現代では珍しい料理や、贅沢な洋食が並んでおり、食堂車がただの「食事の場」ではなく、まさに移動する高級レストランであったことが伺えます。
それでは、当時の食堂車で提供されていたメニュー表を手がかりに、その魅力を振り返ってみましょう。
日本初の食堂車と「自由亭」
日本初の食堂車が登場したのは、1899年、山陽鉄道によるものでした。
列車の中で本格的な食事が楽しめるというこの試みは、当時の人々にとって非常に新鮮で贅沢な体験だったのではないでしょうか。
さて、この食堂車は「自由亭」と呼ばれ、まさに移動中に楽しむ高級レストランとして機能していました。
当時のメニューを見ると、西洋料理を中心とした豪華な食事が提供されていたことが分かります。
以下は、その「販売品目録」からわかる、代表的なメニューとその内容です。
実際のメニューに見る贅沢さ
「食堂車販売品目録」には、当時の食堂車で提供されていた料理や飲み物の詳細が記載されています。
このメニューから、初期の食堂車でどのような贅沢な食事が提供されていたのかを読み解いてみましょう。
フランス料理をベースとした豪華な食事
山陽鉄道のメニューでは、西洋料理、特にフランス料理が中心でした。
目を引くのは「フルコース盛皿一式」で、1等車用と2等車用で料金が異なっていたことがわかります。
例えば、1等車では「金七拾銭」、2等車では「金五拾銭」で提供されており、当時としては非常に高価な食事でした。
金七拾銭って現在でいうと?
「金七拾銭(70銭)」は、昔の通貨単位で「70銭」を意味します。
1円=100銭という単位なので、70銭は現在の日本円に換算すると約0.7円(つまり、70銭=0.7円)です。
ただし、明治時代から現在にかけて物価や経済状況は大きく変化しています。
そのため、70銭の価値を単純に現在の0.7円と比較することはできません。
当時の70銭は、現在の日本円に換算するとかなりの価値がありました。
例えば、この当時の明治時代の70銭は、現在の数千円〜数万円程度の価値に相当すると言われています。
さて、気になるコース料理の内容ですが、残念ながらメニュー表には記載されていませんでした。
調べてみると、当時提供されていたのは以下のようなもので、乗客にとっては特別なごちそうだったはずです。
・フランクプディングス:フランス風のプリンや肉料理で、当時は西洋の影響を強く受けた料理でした。
・ハムボン:ハムをベースとした料理で、塩味の効いた肉料理として人気がありました。
・コンニフ牛肉煮:じっくり煮込んだ牛肉料理。これも洋食の代表的なメニューの一つです。
これらの料理は、いずれも高級な食材を使用し、列車の中で提供されるとは思えないほどの贅沢さを感じさせます。
スープやパン
メニューには、食事の前に提供されるスープや、付け合わせのサラダも含まれていました。
特に「スープ」は「金拾銭」と記載されており、スープ一皿にも値段がつけられているのが興味深いです。
このスープは、牛乳やバターを使ったクリーミーなものだったと考えられ、フランス料理の一環として楽しめたようです。
また、パンはバター付きで「金五銭」とされています。
酒類とたばこ、当時の贅沢な嗜好品
山陽鉄道のメニューには、料理だけでなく、飲み物やたばこも提供されていたことがわかります。
酒類
特に目を引くのが、ビールや日本酒です。
ビールは「アサヒビール」として大瓶・小瓶が提供されており、それぞれ「金貳拾五銭(大瓶)」「金拾五銭(小瓶)」と記載されています。
また、正宗大壜という日本酒も提供されており、こちらは「金參拾銭」と、ビールよりも高価な設定になっていますね。
また、メニューの飲み物の中に「平野水」と記載されているものがありました。
調べてみると、「平野水」は、当時の食堂車で提供されていた炭酸水の一種で、飲み物として親しまれていました。
特にアルコールと合わせて飲まれることが多く、ウイスキーやラム酒の割り材として利用されていたそうです。
旅の途中、食事とともにさっぱりとした清涼感を楽しめる人気の飲料でした。
たばこ
たばこも当時の嗜好品として人気があり、例えば「マニラシガー」(金拾銭)や「ビンヘット」(金四銭)、カメラ(金捨銭)といった銘柄が提供されていました。
旅の途中、葉巻をふかしながら優雅にたばこを楽しむ乗客の姿が目に浮かびますね。
洋食フルコースが中心だった戦前の食堂車
日本初の食堂車が登場した1899年から、戦前の食堂車では洋食のフルコースが中心でした。
この時代の食堂車は、一等車の乗客を対象に、豪華な食事と洗練されたサービスが行き届いており、まさに移動式レストランとしての役割を果たしていたのです。
また、洋食のフルコースには主にパンが提供されていたため、お米がメニューに含まれていなかったと考えられます。
当時の食文化では、西洋料理におけるパンが重要視されており、バターやスープと一緒に提供されるのが一般的でした。
日本の鉄道でも、フランスやイギリスの影響を受けた食事スタイルが採用され、食堂車ではパンが当たり前の主食として登場していました。
しかし、日本人の主食であるお米が食堂車のメニューになかったことは、当時の日本人にとって少し物足りなく感じられたかもしれません。
洋食が中心だったこの時代、列車内でご飯が提供されるようになるのは、もう少し後の時代になります。
まとめ
「山陽鉄道の食堂車販売品目録」を見ると、当時の食堂車がいかに贅沢で特別な空間であったかがよくわかります。
フランス料理をベースとした高級なメニュー、そしてお酒やたばこまでもが提供されていたことで、食堂車は単なる「食事の場」ではなく、移動中の贅沢なレストランとして多くの乗客に愛されていました。
今回の記事を通じて、当時の食堂車での食事がいかに特別な体験であったかを感じていただけたのではないでしょうか?
もし、次に鉄道旅行をする機会があれば、当時の食堂車での贅沢なひと時に思いを馳せ、現代の旅でもその余韻を楽しんでみてはいかがでしょうか?