弥生時代のお米は赤かった?あなたの知らない「お米の歴史」を詳しく解説!
美味しいお米の歴史、あなたは詳しく知っていますか?
毎日たべている白米を詳しくみていくと「昔のお米は赤かった?」「白米が主食になったのは意外と最近!」など、知らない歴史が盛りだくさんです。
そこで今回は、日本のお米の歴史を詳しく紐解いていきましょう。
日本のお米の歴史年表
日本のお米の歴史を年表にまとめました。
約7000年前 インドや中国で稲作がはじまる
約3000年前 縄文時代末期に日本に稲作が伝わる
弥生時代 赤米の稲作が定着し、雑穀のお粥などが主食に
平安時代 「お米を炊く」ことができるようになる
江戸時代 品種改良が始まり「美味しいお米の炊き方」が確立された
第2次大戦後 お米の生産が安定し、白米が日本の主食になる
日本のお米の歴史
日本のお米の歴史は、縄文時代から3000年間続いています。
時代ごとのお米の食べ方や、移り変わりを比較しながらご覧ください。
約7000年前インドや中国で始まった稲作は、日本には縄文時代末期(約3000年前)に伝わりました
お米は中国大陸からやってきた?
日本の楕円形でもっちりとした「ジャポニカ米」は中国の福建米(ふっけんまい)が起源とされていますが、どのようなルートで中国大陸から日本に伝わったのか正確にはわかっていません。
それまでドングリを主食としていた縄文人は、稲作が伝わった当初は稲の穂を熱した石で焼いて食べていたと考えられています。
弥生時代は雑穀おかゆが主食に
弥生時代(約2300年前)になると稲作が定着し、お米を蒸した「強飯(こわいい)」や、どろどろに煮たお米と雑穀を混ぜたお粥が食べられていました。
実は弥生時代のお米は赤米(あかごめ)で、いわゆる野生のイネに近い「古代米」であったと考えられています。
私たちに身近な白いお米の歴史はまだ新しく、品種改良の結果、江戸時代に誕生したものなのです。
奈良時代や平安時代のお米は高級品
奈良時代や平安時代には、糯米(もちごめ)と粳米(うるちまい)などお米の品種区別が始まりました。
鉄製や陶器製の釜(かま)が登場し、現在のご飯に近い炊いた米「姫飯(ひめいい)」が食べられるようになったのも奈良・平安時代ごろです。
ただし、精米したお米は身分の高い人々が独占しており、人々は精米度の低い「黒米」のお粥とアワなどの雑穀を主食としていました。
江戸時代に「おいしい炊き方」が完成
鎌倉~室町時代にかけて二毛作や肥料の発達でお米の生産が安定・収量が上がり、江戸時代からは品種改良が始まりました。
人々は美味しいお米をためるために、品種や炊き方などで様々な工夫をはじめます。
現代でもよく聞く「初めチョロチョロ、中パッパ、赤子泣いてもふたとるな」という美味しいごはんの炊きかたが確立したのも、江戸時代中期ごろです。
白米が日本の主食になったのは第2次大戦後から
江戸時代以降、明治政府主導で本格的な品種改良が行われ、日本全国でたくさんのお米の生産がスタートします。
しかし、第2次世界大戦まで日本の主食はまだ白米ではなく、麦やヒエなどの雑穀ご飯や、芋・豆などでした。
戦後になって、ようやく安定して稲作を行うことができるようになり、現在食べているような「白米」が日本人の主食となったのです。
お米の歴史を知ると、ますますごはんが美味しくなる!
現在、日本で登録されたお米の品種は全部で500種類以上、主食のごはん用としては271品種が登場しています。
品種によって味が違うので、3000年の歴史の結晶だと思うと感慨深いですね。
毎日同じお米でも大満足のおいしさですが、農家さんによる新品種や、お米屋さんによるブレンド米が日々開発されているので、ぜひいろいろなお米を食べ比べてみてください。